上町界隈


福昌寺跡
玉竜山福昌寺は島津家代々の菩提寺。隣接して鹿児島市立の玉竜中学校、玉竜高校があります


大龍寺跡
島津家第十五代貴久が内城として築き、第十八代家久が城山に鶴丸城を築城すると、義久に仕えた臨済宗の文之和尚が大龍寺を開山した。
現在は大竜小学校となっている。東郷平八郎揮毫の碑文。


南洲墓地
南州神社が隣接する。
墓地の中央に西郷隆盛、墓碑に向かって左に桐野利秋、右に篠原国幹の墓石が立ち、正面に桜島を望む。


森有礼誕生地
春日神社の近くには、日本の初代文部大臣を務め、一橋大学を創設した森有礼の生誕記念碑があります。



◆異人館
旧鹿児島紡績所技師館、2015年7月、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして、世界文化遺産に登録されている。










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鹿児島五社
島津氏が勧請した神社で、上町地区にあるため、上町五社ともいわれた。鹿児島五社巡りの筆頭は南方(みなみかた)神社。

◆南方(みなみかた)神社
信州諏訪大社の分社。
鹿児島5社の筆頭。


◆八坂神社
京都八坂神社を勅請したといわれるが、資料消失のため不詳。


稲荷神社
第三の神社で島津家初代、忠久公にちなむ。


◆春日神社
唯一、島津氏と関係のない神社
藤原氏の氏神、大和国の春日大社を勅請して創建。


◆若宮神社
島津家の家祖忠久が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して建立。






















ナンチク

NHKで紹介


鹿児島かんまち(上町)


かんまち(上町)のかたち
かんまち(上町)という呼称は江戸期に、鹿児島城下上町、下町、西田町、上方限、下方限という区分があり、廃藩置県の際に鹿児島県の県庁直轄の府下となり、上町には小川町・和泉屋町・恵比須町・車町・栄町・柳町・浜町・向江町が属した。
上町という町名が存在するわけではなかったようです。2007年に鹿児島市が定めた、かごしま都市マスタープランでは、中央地区、上町地区、鴨池地区、城西地区、武・田上地区などの地域地区の定義をしています。上町地区は本市(鹿児島市)の中央部北側に位置し、稲荷川下流域の春日町、大竜町等や市役所など公共施設の集積する山下町周辺の平たん部市街地と、臨海部の本港区、磯から竜ヶ水平松にいたる自然海岸、そしてその後背の台地部で構成。
鹿児島県の地域振興局の鹿児島県歴史資料センターの発行資料を見ると鹿児島城下町「上町(かんまち)」を、黎明館から鹿児島市清水町までと紹介しています。

上町には独特な名前の地名があります。
せばる(催馬楽)、たんたど(都曇答臓)
催馬楽(せばる)城というものが存在したらしいという記述もあるようです。



◆催馬楽(せばる)神社
催馬楽舞いの発祥の地と言われている場所です。
催馬楽神社(せばるじんじゃ)のある催馬楽(せばる)公園一帯はおとんやま(音の山)という呼び名があり、かつての隼人族が、催馬楽舞いのために使う、三管(笙(しょう),篳篥〈ひちりき〉,竜笛〈りゅうてき〉)を奏する音が響いて聞こえたため、音の山(おとん山)という名がついたそうで、地元の人たちは今でも「おとんやま(音の山)」と呼びます。


催馬楽(せばる)公園入口近くにある碑。




催馬楽(せばる)とたんたどについての説明版。



説明版の内容
【「催馬楽(せばる)の地名は、昔ここに住んでいた隼人族が古代歌曲のひとつである催馬楽(さいばら)という神楽を演ずるならわしがあったことから起こったとされています。隼人族は、奈良時代の頃から京都に上り、宮廷の警備をするかたわら、朝廷の中でこの催馬楽(さいばら)を演奏したといいます。催馬楽(催馬楽)の近くに「たんたど」呼ばれる地区があります。この地名は、隼人族が催馬楽(さいばら)を演奏するときの鼓の音からきたとか、近くの水路の音に由来するとかいわれています。(鹿児島市)】







鹿児島かんまち周辺の珍しい地名。

なべやんしー(鍋屋敷)
さんげんたい(猿返谷)
ボサド(菩薩堂)







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